説 教

前回の説教(2024/11/03)

「愛は律法を全うする」

伊藤智 牧師
ローマの信徒への手紙13章8~14節
「愛は律法を全うする」 ローマの信徒への手紙13 章8-14節 11月3日の主日礼拝は、召天者を覚えて捧げます。天に召された者たちが、どのように生き、またどのように召されたのか。この礼拝を通して、聖書が語ること、神が願われていることは、私たちがしっかりと愛に根ざして生きなさいと言うこと。それに応えるようにして、私たちが、はっきりと「はい、自分は、愛に『キリストに』根差して生きています」と言えるものになるということ。そのために、神の御言葉である聖書に聴きたい。 ローマの信徒への手紙13章8節「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」とある。私たちは、人を愛することにおいては、借りがある、と言われている。この手紙は、ローマにある教会の信徒たち宛に書かれている。それは、生まれたばかりの小さな信仰者の共同体だった。小さな共同体である教会が、神を信じ合っている仲間である身内と団結し、異教の者たちから距離を置くということはいくらでも起こり得る。しかし、教会が社会に反発したり、抵抗を見せることで存在意義を表し、社会からはみ出ることをパウロは願わなかった。むしろ、パウロは、人を愛する者は、律法を全うしているのですと語った。パウロが語る人々、人というこの「人」という言葉は、「他人」「他者」という意味でもある。むしろ、そちらの方が、強調されている。他人と言うと、互いに愛し合う関係にはなかなかならないと思うが、パウロは、むしろその他人を愛しなさいと呼びかける。それは、言い換えるとローマ社会を、異教社会を、日本社会を愛しなさいと言うこと。そこで、私たちは、イエスが十字架の上で私たちに「こう生きよ」と与えて下さった命の意味を捉え直したいと思う。イエスこそが、人を愛すること、他人を愛する掟を守り続けたのです。イエスは、どこまでもこの世を愛された。そうであるならば、他人は一人もいないのです。だれもが、イエスに愛されているのです。パウロは、教会が、他人をつくり、敵をつくらないように、また、自分たちを律して、他人を責めることがないように、まず教会の中で、キリストの愛に根ざして行こうと語っている。そこに、教会は、生き始めるのである。