説 教

  2022年1月16日

降誕節第四主日

  • 「人はパンだけで生きるものではない」

    キスト岡崎さゆ里 牧師
    マタイによる福音書4章1~11節
    ※音声ファイルはありません
    主イエスは洗礼の直後、悪魔に誘惑を受けるために霊に導かれて荒れ野に行かれました。聖書の悪魔とは、人や団体に制御できないうねりとなって働く悪の力を意味します。また、サタンとは人を誘惑するものであり、いかにも良いことのようにみせかけて、人を神から離れさせるように仕向けるのです▼空腹のイエスに「これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と勧めたのは、生きるために自分の力に頼れという意味でした。私たちもまた日々の生活の中で、自分で稼いだ金でより多くのパンを得るのが甲斐性であるという価値観にとらわれます。しかし真の命の糧はどこから来るのか、主イエスは「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(申命記8:3)」と答えます▼次にサタンは詩編91編を引用し、神を信頼して飛び降りてみよと言います。これにも主は「あなたの神である主を試してはならない(申命記6:16)」と答えます。神を試すのと信頼するのは違います。神を信頼することは時に苦しく、主イエスさえ十字架を前にして苦しみ祈られた結果「しかし、私の願い通りではなく、御心のままに」と信頼を貫きました。眠り込んでいる弟子たちに「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」と警告しつつ▼最後に、悪魔は世のすべての国々を見せて「私を拝むなら、これをみんな与えよう」と言いました。私たちも目的のためなら手段を選べない、という誘惑に迷います。しかし神から離れて「よい目的」を達成することはありえません。主は、この世のすべての支配者は神お一人であると、『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある(申命記 6:13)」と撃退されました▼主イエスの受けた試練はご自分の必要ではなく、私たちの弱さを理解し誘惑の苦しさを経験し、私たちを御言葉によって救うためでした。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点に於いて、わたしたちと同様に試練に遭われたのです(ヘブライ4:5)」私たちも礼拝生活を通して主に倣い、神を愛して神に従い、サタンと対決する力を養いたいものです。 (キスト岡崎さゆ里牧師)