「神の完全な武具」
キスト岡崎エイブラハム 牧師
エフェソの信徒への手紙
※音声ファイルはありません
先週の説教「神の完全な武具」エフェソ信徒への手紙6:11-20神の完全な武具を身に着けなさい。それは力強い言葉です。「見よや十字架の旗たかし」「立てよ、いざ立て主のつわもの」などの讃美歌の元になったイメージです。クリスチャンの生活は、世の悪に対して「いざいさめ」「いさみ進め」と、勇ましく勝ち進む人生なのでしょうか▼ほとんどのアメリカ人がこの聖書個所から思い浮かべるのは、頭からつま先まで鎧で包まれた中世の騎士の姿でしょう。息子が幼稚園の頃なら、大好きなウルトラマンは3分という短時間で敵を倒しますから、これらの歌に合っているかもしれません。さてパウロの読者、エフェソの教会の人たちは、当時のローマ兵士の姿を想像したはずです。そこでパウロはその姿になぞらえてこう説明します▼まず兜、胸当て、帯などの防具は青銅製で、頭から胴体を攻撃から守るものでした。剣と盾については、パウロは特定の種類を選んでいます。多種多様な剣がある中で、非常に短い医者が使う「メス」を指すμχααを選びました。盾についても同様で、パウロが選んだ θρεεееは、英語の「ドア」の語源となった非常に大きい盾です。さらに靴について。当時、迅速な奇襲作戦をとる闘いでは兵士は裸足でした。ところがここでは、スパイクのようなしっかりと地面に踏ん張るための靴をあえて選んでいます▼そしてこれらがπαννπλα(すべて)、神の「完全な」武具全体だとパウロは書いています。しかし本来なら、当時の兵士は攻撃のための矢や槍など他にも多くの武器を身に着けていたのです。ところがパウロは、これら6つで「完全な武具」だと言っているのです▼つまり、パウロの言う私たちの信仰の闘いは、短時間で勝利を得るようなものではありません。多くの攻撃や困難に遭い、辛抱が要ります。信仰にしっかり立ち続けること、伝道することは、そのような闘いだとパウロは言うのです。しかし神は完全な武具を与えてくださいました。欠けるものはありません。人の目には勝利が程遠く見える時も、これが主の闘いであることを信じてイエス・キリストと共に歩み続けましょう。(キスト岡崎エイブラハム牧師)