説 教

  2022年2月6日

降誕節第七主日

  • 「思うようにならない人生」

    キスト岡崎さゆ里 牧師
    創世記12章1~4節
    ※音声ファイルはありません
    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の父祖です。さぞ立派な信仰の持ち主かと思いきや、さまざまな失敗や挫折を繰り返しているのに驚きます。神に祝福を受けながら、決して自分の思い通りの人生ではありませんでした。神は、普通に人の願う「家内安全、商売繁盛」といった個人の幸せを保証したのではありません。アブラハムが「祝福の源となるように」、「地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」ための祝福だったのです。神が彼から去らず、彼もまた何が起きても試されても神との関係に留まり続ける。そこが源となって必ず全ての人が神との関係に入るという、壮大な人類の救いの約束がなされたのです。アブラハムはそれを長い年月をかけて理解していくのです▼神の約束はイエス・キリストによって実現しました。「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々にのべ伝えられる(ルカ24:47)」とあります。福音とは、罪ある私たちが決して神に見捨てられず救い出されるという事実です。アブラハムに与えられた全ての人が「あなたによって祝福に入る」という言葉は、私たち一人一人の信仰者に向けられています。私たちの思うようにならない人生を通して、神は約束を実現していくというのです▼先月27日に教会員の辻薫さんの葬儀を執り行いました。曾祖父の中川嘉兵衛氏は、明治7年に横浜海岸教会でバラ宣教師より受洗し、夫人は翌年タムソン宣教師より受洗、夫妻は新栄教会に教会籍を移しました。その息子さんやお孫さんへとつながり、薫さんが78才で受洗したことを知り、神のご計画の壮大さを思います。▼信仰は個人で終わらない共同体の業です。教会もまた思い通りの交わりではないかもしれません。しかし教会はキリストの体です。キリストの命は「自分の」思い通りではなく、神の御旨を果たすためでした。それにならい、教会が神の約束を信じ、主イエスの福音に希望を抱き、御言葉に従って歩む姿勢によって、家族も社会も愛を知っていく。そのように具体的に、神の祝福の源となっていくのではないでしょうか。