説 教

  2022年3月20日

受難節第三主日

  • 「後ろめたさから解放されたい」

    キスト岡崎さゆ里 牧師
    ルカによる福音書20章9~19節
    ※音声ファイルはありません
    今日の主イエスのたとえ話は、ファリサイ派への警告です。ぶどう園の主人は神、ぶどう園は神が楽しんで植えたイスラエル(イザヤ書5:7)を指しており、農夫らは民の宗教的指導者であるファリサイ派たちです。彼らは神が何度も送った預言者たちをないがしろにし、最後には御子イエスを殺そうと企んでいます。しかしよく考えると、彼らだけでなくイスラエル全体、そして私たちもまた神の呼びかけに対し反抗する者ではないでしょうか▼私たちは自分の人生も命も自分のものと思っていますが、実はすべて神が与えてくださり、私たちの自由に任せてくださっているのです。しかし御旨にかなう使い方をしているかと問われれば胸を張って答えられません。後ろめたいことがたくさんある、それが人間の罪の実情です。罪に目をつむりたいのですが、罪は私たちを滅ぼします。神は私たちを救いたいのです。罪と対決し、真実に導かれるために光を与えられました▼ところが「暗闇は光を理解しなかった(ヨハネ1:5)」ファリサイ派らと同様、私たちもまた自らの罪を露わにされるのが嫌さに、救いの手をつかむことが出来ません。プライドを捨て、ありのままの罪の自分を神に明け渡すしかないのです▼しかし、人はプライド以外の理由で罪を認められないことがあります。それは「自分を否定されたら何も残らない」という恐れです。そもそもこの日本の多くの人は罪からの救いがあることを知りません。だから罪を認めたら、ダメな自分に絶望するしかないと恐いのです。病気を診断され治療法が無いと言われるようなものだからです。しかし治療法があると知れば希望が生まれます▼希望は主の十字架にあります。「家を建てる者の捨てた石」が神に用いられるように、人々に拒絶され、神にさえ見捨てられたはずのイエスが復活するのです。教会はこの福音を一人でも多くの人に伝えなければなりません。「具合が悪い?教会に行った方がいいよ、イエス様ってドクターは絶対失敗しないので。必ず罪から救われるよ!」と。「愛には恐れがない(ヨハネの手紙一4:18)」イエス様の愛を知れば、恐れは無くなるのです。