説 教

  2022年3月27日

受難節第四主日

  • 「伝道をあきらめない」

    キスト岡崎さゆ里 牧師
    マタイによる福音書13章3~9節 24~33節
    ※音声ファイルはありません
    種を蒔く人のたとえ、それは主に従う弟子である私たち信仰者に伝道の心構えを教えています。伝道の相手は「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない」人たちであると主は予告した上で、様々な場所に蒔かれた種は、その状況によって芽吹くものもしぼむものもあると教えます。確かに私たちの周りにも、御言葉に興味を示さない人・受洗しても躓いてしまう人・礼拝に出席しているが諸処の事情により心が決まらない人などがいます。伝道は困難です。が、主ご自身も同様に味わわれたことです。しかし伝道の種は必ず、蒔いた者の意図を離れて大きく育ち、何十倍もの実を結ぶことが約束されているのです▼次のたとえは、私たち自身が伝道を妨げてしまう危険性です。私たちは、身近な人間関係や教会などの組織で「毒麦」を捜し出し、躍起になって摘み取ろうとします。けれども「よい麦」と「毒麦」は見た目で判別がつきません。問題を取り除こうと急く余り、和解や協力の可能性をも摘んでしまうかも知れません。主は、よい麦を伸ばし、御言葉に信頼してのびのびと伝道するよう勧めています。なぜなら、全能の神が最後にはすべてを裁かれるからです▼私たちの心の中には伝道の妨げとなる「あきらめ」という種が芽生えがちです。確かに現状を見ると「日本での宣教なんて無理だ、教会には何の力も無い」とあきらめたくなります。けれども、31節からのからし種とパン種のたとえを聞いてください。小さなからし種が大きく育ち、大量の小麦粉の中で存在も見えないようなパン種が、全体をふくらますというのです。全人口のたった1%であるキリスト者が、この社会を神の愛でふくらませる、神の愛で満たすというのです。その時が必ず来ます▼新栄教会150年になる歴史、そしてこれからの歩みの中で私たち自身はその実りを自らの目では見られないかもしれません。しかし神に希望をおいて、あきらめず、手段と対策を工夫して、神様が最後に手にされる収穫が少しでも多くなるよう、そしていつか神の倉で一人でも多くの友と再会出来るように、元気に宣教していきましょう。