「ここから始まる」
一之木幸男牧師
マルコによる福音書16章1節~8節
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ユダは接吻をもってイエスを引き渡しました。愛の徴である接吻
をもってさえ人を裏切る人間の闇がここにあります。そのようなユダに、イエスは「友よ」と呼びかけます。地上において、一番最後にこう呼ばれた相手、それがユダでした
弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまいました。ほんの少し前に「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」と言っていた弟子たちがです。
人間の決心のどうしようもない脆さ・弱さがここにはっきりと表されています。◇聖書には十字架上の七つの言葉が記されていますが、この叫びに心をわしづかみにされます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」問いに答えはないまま、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」真っ暗な中での、このうえない信頼の叫びです。イエスがこのように息を引き取られたのを見て、百人隊長は言います「本当に、この人は神の子だった。」◇この一部始終を見守っていたのが<女性たち>でした。殊にマグダラのマリアは、イエスに「七つの悪霊を追い出していただいた」婦人でした。早朝墓へ向かう彼女たちの心は、一つのことに囚われていました。「だれが、墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」「ところが」という一言が、ここから新しい出来事が始まったことを告げています。「目をあげてみると、石は既に脇に転がしてあった。」目を上げさせてくださったのも、神の働きかけでしょう。
驚くべき事実がここで告げられます「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさってここにはおられない」わたしたちは、このイエス・キリストと共に死に、キリストと共に新しいいのちに活かされるのです。いつか・どこかの話ではなく、いつでもここから始まる≫のです。