「つながって実を結ぶ」
一之木幸男 牧師
ヨハネによる福音書15章1~11節
いのちの源、いのちのつながりが示されます。「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」これは十字架の直前に語られた訣別説教です。わたしこそ永遠のいのちの源、いのちそのもの、主イエスはこれをどうしても伝え、覚えていてほしいと願われました。そしていつでも新しいいのちに生かされていてほしいと。◇続けて語られていることはこうです。「わたしを離れては、あなたがたは何も(何一つ)できない」反発を感じる人もいるかもしれません。しかしどんなに力や知恵を誇っても、自分で自分のいのち・存在を生み出すことのできる人はいません。皆《生かされて生きている》のです。◇イエスに「つながっている」とはイエスの愛に「とどまっている」ことです。原語は同じ言葉です。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」「わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたもわたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる」キリストの掟は《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》です。イエス・キリストにつながって結ぶ実、それはこの互いに愛し合う生活です。(-礼拝説教においては、ここの所がしっかりと伝えきれていないように思いました。改めて強調したいと思います-)◇約束が与えられています。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」イエス・キリストとのつながりによって、既に与えられている恵みに気づかされます。「数えてみよ主の恵み」(『新聖歌172』)