「その喜びを奪う者なし」
一之木幸男 牧師
ヨハネによる福音書16章16~24節
「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」 イエス・キリストとの出会い、それは心からの喜び。そしてだれも奪い去ることのできない喜び。これがほんとうに分かり、それによって生かされるために、現代人である我々の思考の枠組みが変えられる必要があるかもしれません。(参考)『広辞苑』「喜び」の項―「うれしく感じる。楽しく思う」私たちの抱く感じ・思い、それが喜びであると定義しているわけです。◇イエス・キリストの喜び・聖霊の実である喜びは、これとは根本的に異なっています。それは《悲しみから変えられる喜び》です。ゲッセマネの祈りで主は弟子たちに言われました。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」十字架の死によって、イエスを愛してやまない人々には、とてつもなく大きな悲しみがやってきました。その悲しみのただ中でイエスは復活されました。復活のイエスに出会った人々は、喜びに満ちています。◇「その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」それは神が与えてくださるものだから。周囲の状況・環境に左右されないのです。そればかりか、悲しみ・苦しみ・不安のただ中にあって、それらに耐え抜かせる力として働くのです。『使徒言行録』2章は有名な聖霊降臨の出来事ですが、そのわずか二章後には、迫害が始まったことが告げられています。牢に入れられ、鞭で打たれる使徒たちの姿は?「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び…イエスについて福音を告げ知らせていた」(使徒5:41~42)◇今こそこの喜びが必要です。私たちの周囲で、日本で、世界中で、たくさんの人々が、悲しみ・苦しみ・不安にさいなまれています。私から、あなたから、この教会から、《誰も奪い去ることのできない主の喜び》を現していただこうではありませんか。