「神の子とする霊」
一之木幸男 牧師
マルコによる福音書1章9~11節 / ローマの信徒への手紙8章9~17節
※音声ファイルはありません
主イエスさまは、お育ちになったナザレを離れ、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネが宣べ伝えていたのは「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」でした。ですからイエスさまには、これはほんとうは必要のないものでした。罪のない方だったからです。しかしこの行動が、罪人と連帯し、全ての人の罪を背負う十字架へとつながっているのです。水の中から上がると天から声が聞こえました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」◇イエス・キリストという方はどのような在り方・仕方で神の子であることを示されたのか、マルコは証ししました。
荒野でのサタンの誘惑は「神の子なら」というものでした。自分を救うため特別な能力を使え。人々の賞賛を得るという仕方で、自分を拝んで権力を手にして、神の子であることを証明しろという誘惑でした。イエスは全ての誘惑を神のみ言葉をもって退けました。
十字架上で叫びつつ命を捨てる姿を見て百人隊長は言いました「本当に、この人は神の子だった」◇パウロは言います「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」さらには、「キリストと共同の相続人」とまで言われています。あなたがたは今すでにこのようないのちに生かされているものだ。そしてそれは将来に渡って変わることのない神の事実・約束である、と告げるのです。「キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」と言われていることに注意したい。これは神からの問いです。「あなたはわたしに何を望んでいるのですか?」
《内なる偶像崇拝》があぶり出されます。神を自分の欲望の投影にしてはいないか?ほんとうに愛しているのなら、苦しみも喜びも共にしたいと望むはずです。人間同士でもそうであるように。