「無学なただの人」
一之木幸男 牧師
使徒言行録4章13節~31節
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口語訳聖書は、13節を「無学なただの人」と訳しています。今日の説教題はここからとりました。事柄の本質がよく表されていると思うからです。福音書は、イエスさまもまた周囲の人々からこう言われたことを告げています。「この人は、学問をしたわけでものに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」◇ペトロ・ヨハネ、そして他の弟子たちもまた、とてつもなく大きな神の出来事を体験させていただきました。三年ほどの期間を、寝起きを共にしてイエスから学んできたこと、十字架を前にして、そんな人は知らないと否んだこと。絶望の真っ只中に復活のキリストが現れ、「父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」と言ってくださったこと。そして約束のとおり聖霊が降って宣教が始められたこと。使徒たちはこれほどの体験を経て、やっと「ただの人」とされたのです。ここにキリスト信仰の歩みがどのようなものか、はっきりと示されています。◇「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31) 聖書が救いという言葉で言い表しているのは、まさにこの創造のいのちの回復であり、それはイエス・キリストの十字架の死と復活によりいますでに与えられている。今日のみ言葉が「ただの人」という言葉で表しているのは、この消息であるように思います。
◇ここに立ち止まってみると、主イエスが「捨てる」ことをお求めになる理由が少しだけ分かるように感じます。裸で生まれてきた私達。成長に伴って様々なものを身にまとってきました。それらは実際に役にたっています。しかしそれによって《いのち》そのものが見えなくなっているのも事実です。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」この命は既に与えられています。神の国の到来の時、これは完成する。《全き者》とされるのです。