「人は何によって救われるか」
一之木幸男 牧師
ガラテヤの信徒への手紙5章1~15節
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《人は何によって救われるか》このもっとも根本的なことがかかっていました。だからパウロは、事柄を決して曖昧にせず、時に激烈な言葉を手紙に記しました。◇聖書が証しする神は、≪御自ら解放してくださる≫方です。旧約聖書における最大の・中心的な事柄は、エジプトの地で奴隷であったイスラエルの民を神が解放し、約束の地・乳と蜜の流れる地へと導かれた出エジプトの出来事でありました。新約聖書が告げるメッセージは、「十字架につけられたキリスト・死から復活されたキリストが、罪と死から解放し、自由にしてくださった」これです。この喜びの知らせを信仰によって受け止めさせて頂く―これも神の賜物です―その事によってのみ、神の救いに与ることができる。◇パウロが去った後、偽教師たちが異なる教えを持ち込み、混乱させました。「割礼を受けなければ救われない」というのです。これは「律法を行わなければ救われない」と等しい。パウロは断固としてこれを否とします。キリストの十字架が空しいものとならないためです。◇”律法主義への後戻り”の一方で、もう一つの危険がありました。「自由」を口実にして、放埓・自己中心に陥ることです。だから言います「兄弟たち、あなたがたは自由を得るために召されました。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。」律法全体は「隣人を自分のように愛しなさい」という一句に尽きる。(イエスはこれに先立ち「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という掟を挙げている)
≪愛をもって互いに仕える≫それはほんとうの幸せと喜びの源です。この愛もまた主からの賜物です。