「主の鍛錬」
一之木幸男 牧師
ヘブライ人への手紙12章1~13節
※音声ファイルはありません
あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい」 こう語られていることが、この手紙の受け手たちがどのような状態にあるかを自ずと物語っています。 この人達は、倦み疲れていたのです。12節からもそれは明らかです。祈り・礼拝・信仰生活に疲れていた。だから「集会を怠る」人々も現れ始めている。◇手紙の著者は、《偉大な大祭司神の子イエス》を、繰り返し指し示します。しかもこの方は「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」方です。この方こそ信仰の創始者また完成者です。目標まで走り抜くために、イエスを見つめ続けることが不可欠です。◇旧約聖書箴言を引いて、今あなたがたが直面しているのは、主の鍛錬なのだと言います。
「鍛錬」の語源は「こども」です。活ける主は、あなたがたを愛する子として教育し、訓練してくださっているのだ、と言うのです。そしてここには、はっきりとした目的があります。「霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖に与らせる目的でわたしたちを鍛えられるのです」これはものすごいメッセージです。神は聖なる方・聖なる父です。その最も根源的な性質《神聖》に与らせるための鍛錬だ、というのですから。
そしてこれは必ず実を結ぶ、と約束されています。出来事の全ての意味を、私たちは知りえない。「今知らず、のち知るべし」忍耐はここから生じます。この忍耐もまた、わたしたちの力ではなく、神の賜物として与えられるものなのです。