説 教

  2022年9月4日

聖霊降臨節第14主日

  • 「神への渇き、神の渇き」

    一之木幸男 牧師
    詩編42編1~12節 / ヨハネによる福音書19章28節
    ※音声ファイルはありません
     この人は渇いています。命の神に、生きておられる神との交わりに、渇ききっています。だから神を慕い求めます。喘ぎ求めます。それはちょうど、涸れた谷に、川床があらわになってカラカラになっているところを、必死になって水を求める鹿のようだと言っています。「神に、命の神に、私の魂は渇く」〈魂〉のもとの意味は《喉》です。まさにそれは命の要です。そこが水で潤されなければ、息がそこを通らなければ、死んでしまうのです。この詩人は、活ける神に満たされなければ存在を保ちえない程に渇ききっているのです。 ◇この人は何らかの理由で、異郷の地に置かれています。そこで待っていたのは激しい嘲りでした。「お前の神はどこにいる」昼も夜も嘆き続けるのですが、神は沈黙したままです。しかし、ここで終わりではありませんでした。神とのかつての喜びに満ちた交わりを思い起こしつつ、自らの魂に語りかけるのです。「なぜうなだれるのか、私の魂よ なぜ呻くのか。神を待ち望め」この後、信頼と訴えを行きつ戻りつしながら、再びここに立ち返ってきます。信仰の生活は迷いや葛藤がなくなることではなく、支えの御手がある故に、むしろ安心して迷えるようになることだと、この信仰者は教えてくれています。◇「わたしは渇く」この十字架上のイエスの言葉を、マザーテレサと『神の愛の宣教者会』の仲間たちはその会則としているそうです。「イエスは、水ではなく、愛と犠牲に対する渇きを話されたのです。イエスは神ですから、その愛、その渇きは無限です。私達の目的は、人となられた神のこの無限の渇きを癒すことです。」  召命を受けてから、この世を去っていくまで、彼女は深い闇の中を歩み続けました。しかし、「もしこれがあなたに栄光をもたらし、人々の魂があなたのもとに導かれるのなら、主よ、私はここにおります。」彼女の祈りはこう結ばれています。