説 教

  2022年10月16日

聖霊降臨節第20主日

  • 「幸せな人」

    一之木幸男 牧師
    マタイによる福音書5章1~12節
    ※音声ファイルはありません
     「イエスはこの群衆を見て、山に登られた」ここでの群衆がどのような人々だったか、直前の4章末尾が記しています。24節~「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたのでこれらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ…から大勢の群衆が来てイエスに従った。」この人々と弟子たちに、主イエスは神からの幸い=幸せ=祝福を宣言されました。原文においては、幸いを表す「マカリオイ」が各節の文頭に記されています。英文ではblessedです。イエスはご自身が遣わされたことによってもたらされている神からの幸せを、何としても伝えたかったのです。◆「心の貧しい人々」これは日本語においては誤解を招く表現です。普段使われる場合は、思いやりを欠いたさもしい人間を指します。本来の意味は《霊において貧しい人々》です。所有・財産は言うまでもなく、自分自身にも頼ることができない、神に頼るほかない心底貧しい人々です。「天の国はその人たちのものだからである」神のご支配・活ける神の働きはこの人々に臨む。だから幸いだと言われているのです。これが後に続く事柄すべての基調となっています。◆キリスト・イエスが中心です。喜ぶ者と共に喜び、イエスは泣く者と共に泣かれました。受難・十字架に至るまで苦しみを共にし、行動されました。踏みつけにされても暴力を用いませんでした。神にのみより頼み、迫害されるまでに義のために行動されました。「わたしのために罵られ…るとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」この喜びは人間全体を捉え、外に向かっていくものです。イエスが告げる神の祝福=本当の幸せは、存在の全領域に及ぶものです。