「いつまでも主と共にいる」
一之木幸男 牧師
テサロニケの信徒への手紙一4章13~18節
※音声ファイルはありません
本日の礼拝は、キリストにある生涯を送られた信仰の先達の方々を記念する〈召天者記念礼拝〉です。今日の箇所において、「既に眠りについた人々」つまり死んでこの世を去って行かれた人達について、主イエス・キリストご自身とその約束に基づいて、希望と励ましを指し示しています。◆「イエスが死んで復活されたと、私たちは信じています。」これがすべての中心・土台です。ナザレのイエス、この方は神の子、神です。このお方が、本当に死なれた。しかも十字架の上で。そして墓に葬られました。この地上で人間が味わうすべてのことを、キリスト・イエスはその身に負われました。
神はそこから、墓から、イエスを立ち上がらせました。復活させられました。だから、「神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」ここから与えられる確信、それは「生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ローマ14:8~9)という、キリストによる事実によるものでした。『ハイデルベルク信仰問答』が真っ先に示しているのは、この《唯一の慰め》です。
◆聖書は一方では、地上にある人間のはかなさを冷静に示します。「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます。」(詩90:6)そのように単独でははかない存在である人間が、イエス・キリストとの生きた交わりの中で、とこしえの慈しみを受け、永遠のいのちに今、ここで生かされていると信じることができる。我々は生と死に対する慰め・励ましの源を自分の内には持っていない。死んで復活したキリストにあって、励ましあうことができるのです。