説 教

  2022年11月20日

降誕前第5主日

  • 「間を覚ましていなさい」

    一之木幸男 牧師
    マタイ福音書25節1~13節
    ※音声ファイルはありません
    「天の国」のたとえです。生きて働かれる神さまの愛に満ちたご支配を、主イエスは天の国、《神の国》と言い表されています。神さまは、すべてのものをお造りになって、あとは放っておかれているのではなく、完成に導いてくださる方です。そして終わりの時にはすべてのものが新たにされ、イエス・キリストが再びおいでになるのです。「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である」「人の子は思いがけない時に来る」 ◆婚礼の時が、たとえとして引かれます。ユダヤにおいてのそれは、通常夜に行われました。だから灯火が不可欠でした。布に油を浸み込ませたたいまつです。花嫁の家で花婿の到着を待ち、着いたらそれを持って出迎えるのは、おとめたちの仕事です。「愚かなおとめ」 「賢いおとめ」この違いはただ一つ、油の用意をしていたか否かです。花婿は真夜中に到着しました。本当に思いがけない時に来ました。慌てて買いに行ったおとめたちは、帰ってきても戸を閉じたままの家に入れてもらえませんでした。◆「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」これは《注意深くあること》《備えをしていること》への呼びかけです。 「注意は、至高の状態にあるとき、祈りにひとしい。かかる注意は信仰と愛を前提とする」(シモーヌ・ヴェイユ) 鈍く、頑なになってしまっている心を、新しく造り変えていただくために、主の日毎に礼拝を献げ、日毎に祈り続けます。 日常生活にも、変化が生じていくでしょう。一言で言えば、《今していることをする》在り方へと。今目の前にいる人とちゃんと向き合う。ご飯を食べる時はしっかりと食べる。そんなふうに、一つ一つの事を丁寧になしていく生き方へと導かれていくでしょう。