説 教

  2022年12月4日

待降節第2主日

  • 「忍耐強く待ち望む」

    一之木幸男 牧師
    ヤコブの手紙5章7~11節
    ※音声ファイルはありません
     「兄弟たち、主が来られる時まで忍耐しなさい」 初めにこの呼びかけを聞いたのは、直前の記述から明らかなように、富んでいる者達からの搾取によって苦しみ喘いでいる、貧しいキリスト者たちです。正しく裁かれる方が来られる時が間近に迫っている。だから、そこに目を注いで忍耐深く待ち望んでいなさい、と励ましているのです。◆聖書において「忍耐」ということを思い巡らせるとき、まず初めに、《主なる神の忍耐深さ》に目を向けられます。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。」(出エジプト記34:6~7) 愛の讃歌として知られるⅠコリント13章には、「愛は忍耐強い」と力強く宣言されています。 ご自分に背く罪人を、それでもなお救おうとされるこの神の忍耐が、主イエス・キリストを賜る御業となって現わされました。主は十字架につけられる前に、ご自身の死と復活、昇天とそして《再臨》を約束されました。再びおいでになられる主を待ち望む信仰こそ、希望を持って今を生き抜くことを可能にします。◆忍耐の模範として、「農夫」が挙げられています。「農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです」雨=水はすべてのいのちの源です。まして渇ける地のこと、これは文字通り死活問題です。農業・漁業を生業とする方々の姿に間近に触れて学ばせていただいてきたことは《自然の秩序に則った・逆らわない生き方》でした。『平安の祈り』(ニーバーの祈り)を想わされます。「神よ、私にお与えください/自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものを変えていく勇気を/そして二つのものを見分ける賢さを」 主の約束は必ず実現される、否今すでに始まっていると信じつつ、この落ち着きをもって今日を、今を生かされるものでありたいと祈ります。