説 教

  2023年1月1日

  • 「献げる」

    一之木幸男 牧師
    ルカによる福音書2章21~40節
    ※音声ファイルはありません
     お生まれになったイエスを連れて、両親がエルサレム神殿へ行った、その時のことが記されています。「さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。(レビ記12章・出エジプト13章1~2節等参照) 今日の福音は、《献げる》という言葉・在り方に満ちています。 イエスさまご自身が、誕生の時から主に献げられたお方でした。全生涯を神に献げ、人の救いのためにいのちを献げきられたお方に、この私の〈体〉を献げることが、神に喜ばれる礼拝です。(ローマ12:1)★神殿での奉献の場面に、二人の老人が登場します。シメオンとアンナ。シメオンが老人であったとは明記されていませんが、彼自身の言葉がそれを物語っています。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」彼は、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていました。換言すれば、メシア=キリストに出会うことができるとの望みが、彼の人生をこれまで支え導いてきたのです。シメオンの生涯も、〈主を待ち望む〉という一つのことに献げられてきました。そして今、メシア・十字架につけられるキリストを指し示して、この世を去っていくのです。★女預言者アンナ。この人は「非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた」夫との死別の悲しみを抱えながら、夜も昼も神に仕えていました。シメオン同様アンナもまた、その生涯を神に献げて生きました。その終わりに、非常に大きな神からの使命を果たしました。「エルサレムの救いを待ち望んでいる人皆に幼子のことを話した。」つまり、救いを指し示したのです。「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ」(H・ホイヴェルス)