説 教

  2023年2月12日

公現後第6主日

  • 「手を差し伸べ触れるキリスト」

    ルカによる福音書5章12~16節
    ※音声ファイルはありません
     「イエスがある町におられたとき、そこに全身重い皮膚病にかかった人がいた。」ここでの〈重い皮膚病〉については、聖書巻末の『用語解説』を是非参照していただきたいと思います。「ツァラアト」(ヘブライ語)「レプラ」(ギリシャ語)は、従来「らい病」と訳されてきました。しかしこれは医学的な意味ではないということが明らかになりました。長年政府・社会による差別・偏見によって苦しんでこられたハンセン病を患った方々を、「聖書」を通じての苦しみからも解放しなければならない、との事情から、訳語の変更に至りました。★『レビ記』13~14章に、重い皮膚病についての規定が記されています。患者は「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらなければならず、症状がある限り独り宿営の外に住まねばなりませんでした。主イエスの前に現れたこの人は、律法に違反する者として処罰される可能性があったわけです。主イエスは手を差し伸べてこの人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われます。これもまた律法を超えています。汚れたものに触れたその人も汚れると考えられていたからです。主の行為と言葉は、「あなたはすでに『汚れた者』としての律法の束縛から解放されている」という、人間性回復の宣言でした。★《どこでイエス・キリストと出会うことができるのか》 清く・正しく・美しいところで、と何となく考えているところがあります。み言葉は違う視点を与えてくれます。社会・世間が「汚れた者」とし、それによって自分自身も汚れていると思っている、そこにキリストは触れてくださる、ここで出会ってくださるのです。「さわる」は一方的、「ふれる」は相互的な行為である、との指摘があります。そう言えば「ふれあう」と言いますね。イエスは一方的にこの人を扱っているのではなく、一人の人間として尊び、真実な魂の交流をもたれたのです。