「荒れ野の誘惑」
一之木幸男 牧師
申命記6章10~19節 / ルカによる福音書4章1~13節
※音声ファイルはありません
主イエスがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けられたその時、「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来」「「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえ」ました。イエスはこの聖霊に満たされ、また荒れ野の中を引き回されるのです。そこで40日間、悪魔の誘惑を受けられます。★激しい飢えにある主に悪魔は言う「神の子なら、この石がパンになるように命じたらどうだ」《神の子なら》誘惑は、この事をめぐるものでした。神の子キリスト=メシアであることを何によって示すのか、ということです。「神の子としての特別な力を、自分を救う為に用いよ」という誘惑です。これは十字架の時、より鮮明になります。「神の子なら、自分を救え」そうすることなく、いのちを献げ切られました。★「この国々の一切の権力と繁栄を与えよう」背後には「わたしを拝むなら」という礼拝の問題があります。〈権力〉と〈(偶像)礼拝〉 歴史を顧みると、この二つはいつも結び付いています。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」とのみ言葉によって、イエスはこれを退けられます。そして権力ではなく、《苦難の僕》の姿で、神の子であることを示されるのです。★悪魔も聖書の言葉を用いて誘惑します。しかも二つの聖句まで。「サタンでさえ光の天使を装うのです。」(Ⅱコリント11:14)「あなたの神である主を試してはならない」というみ言葉で、これを退けられました。 世にある限り、絶えず私達は誘惑にさらされ続けます。「ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」と言われている方の助けが、励ましです。