「死と復活を予告するイエス」
一之木幸男 牧師
ルカによる福音書9章18~27節
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主イエスはひとりで祈っておられます。弟子たちも共にいました。主は尋ねます。「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」彼らは答えます。「『洗礼者ヨハネだ』だと言っています。ほかに…」イエスはさらに問われます。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」ペトロが答えます。「神からのメシアです」<キリストです>と言ったのです。私・あなたの信仰の根幹である問いと告白です。教会が建つのも倒れるのもここにかかっています。★次いでイエスは言われます。「人の子は多くの苦しみをうけ、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて(捨てられて)殺され、三日目に復活することになっている」本日の説教題は、事柄を十分に捉えきれていません。これは単なる予告・決意と言ったものではなくそれをはるかに超えています。「必ず」「なっている」とは、それが神の意志であり計画なのだということです。イザヤの預言が想起されます。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている」(53:3)ナザレのイエスは、このような<苦難の僕>の姿を通してご自身を現わされるキリストなのです。★それから、イエスは皆に言われます。特別な人にだけではありません。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」(マタイ11:29)とイエスは招いておられます。自分の十字架は、イエスが既に負ってくださっています。いつでも共に担ってくださっているのです。イエスに献げる命こそ、まことの《いのち》として救われ、用いられるのです。