「捨てた石、これぞ隅の親石」
一之木幸男 牧師
ルカによる福音書20章9~19節
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聖書を読んでいると、主なる神の《忍耐深さ、忍耐強さ》をしみじみと想わされます。私は現在『出エジプト記』を読んでおりますが、これを痛感させられます。召しに対して素直には従おうとしないモーセ、どこまでも心を頑なにし続けるファラオ、そしてすぐに不平不満を訴えるイスラエルの民たち。しかし神はどこまでも忍耐深く、ご自身が立てられた契約に忠実です。海を二つに分けてイスラエルの民をエジプトの地から脱出させ、天からマナを、岩から水を湧きあがらせ、40年の荒野の旅を導き続けられるのです。★民衆に語られたイエスさまのたとえ話もまた、《神の忍耐》《反抗する人間の頑なさ》を描き出し、《真に歴史を支配しているのは誰か》を問いかけます。9節に「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た」とあります。全地・歴史そして私達一人一人の命も、神によって貸し与えられているものです。それをわが物にしようとするところに罪があります。僕は何度も何度も遣わされます。その度に酷い暴力を受けて追い返されます。しかも暴力はエスカレートしていきます。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう」最も大切な独り子までも与えつくす神です。しかしこの息子までを殺してしまった。「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」イエスが言うと、彼らは「そんなことがあってはなりません」と答える。イエスは彼らを見つめて言われます。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった』これはどういう意味かと。詩編118編です。不要だと捨てられた石が建物を支える隅の親石として用いられる、そこに神の不思議な御業があります。