「父よ、彼らをお赦しください」
一之木幸男 牧師
ルカによる福音書23章32節~43節
※音声ファイルはありません
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」きょう、何よりも、この十字架上のイエス・キリストの祈りに心を留めたいと思います。十字架を取り巻くのは、ほんとうに「自分が何をしているか知らない」人々です。銀貨三十枚で主を引き渡したイスカリオテのユダ。しかも愛のしるしである接吻をもって。イエスを三度知らないと言ったペトロ。見捨てて逃げ去った弟子たち。ピラトは初めから、「この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった」と言っていました。文字通り何をしているのか分からず「十字架につけろ!」と狂い叫ぶ群衆に負け、本当の犯罪人・殺人者バラバが釈放されたのでした。★哲学者ジャック・デリダは、釈明できるできごと、つまりこちらが理解可能で、赦してやろうと考えられるものを赦すことは、もはや〈赦し〉ではない。逆に、赦すことができないとしか思えないものを赦すことこそが〈赦し〉だと論じます。「私は、もし赦しがあるとしたら、それは人知れず、留保された、ありえそうもないはずのものであって、したがって壊れやすいものにちがいない、というところまで、考えを押し進めてきました。」(『言葉にのって』)★人間にとって・この私にとって、〈赦し〉とは何か?地上に在る限り、常に問われ続けていくのでしょう。一つだけ確かなことは、赦しというこの「ありそうもないこと」が、十字架につけられたキリストにおいて現に、いま与えられている、ということです。しかもそれは、傷と痛み、そればかりか死によって与えられているのです。《赦された者として赦す》《互いに赦し合いなさい》これはキリストにおいて私達を赦してくださった神のご命令です。