説 教

  2024年10月13日

  • 「終わりに何を残すか」

    小友聡 牧師
    マルコによる福音書14章3-9節
    ※音声ファイルはありません
    ベタニアのシモンの家で、主イエスが食事の席についておられた時のこと。一人の女がやって来て、高価な香油の壺を割り、その香油を主イエスの頭に注ぎかけました。なんてもったいないことをする、と女を咎める人もいました。しかし、主イエスは、「この女は私のためにできる限りのことをしてくれた」と称賛しました。  この出来事には埋葬の準備という意味があり、またメシアの即位のしるしという隠された意味もあります。しかし、重要なことは、この女が主イエスの死という終わりを見つめて、主イエスのために高価な香油を注いだということです。愛の浪費と言ってよいかも知れません。終わりを見つめ、主イエスのために信仰者として精一杯の生き方をするということ。このナルドの香油の物語には、そのような生き方への勧めがあります。  旧約のコヘレトの言葉にもこれに似た言葉があります。「青春の日々にこそお前の創造主に心を留めよ」がそうです。これは人生の終わりを見つめて、コヘレトが語る言葉です。人間の死という終わりを見つめて、そこから今を生きよ、という教えが説かれます。私たちに与えられた時間は限られているゆえに、残りの時間をどう生きるかを教えてくれます。  黒沢明監督の「生きる」という映画があります。自分の死期を知った役人が、それまでの生き方を一転させて、利他に生きたという映画です。宗教改革者ルターはこれと同じ生き方を語ります。「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、今日、私はリンゴの木を植えよう」。キリストを信じる私たちは、終わりを見つめて、どう生きるでしょうか。今日のナルドの壺の物語は、私たちに「終わりに何を残すか」を問います。残された時間を、キリストに喜んでいただくために捧げる。キリストに油を注いだ女のような生き方をしたいものです。